
麗しき退屈 T
遅めの朝食を摂って、宿を出た。平日とあって人の姿もまれだ。幹線に出てみる。幹線とはいえ、車が走ってくるといちいち観察してしまうほど、交通量は少ない。港に向かうらしい、ことさらのろのろと走る錆だらけの軽トラックを、若者の運転する乗用車が我慢強く後続していく。

ジョン万ハウスという観光施設を覗いた。百五十年ほど昔、海で遭難して孤島に漂着し、アメリカの捕鯨船に助けられて渡米。航海術を学んだのち幕末期の故国に立ち戻り、海外事情、語学、操船法を伝えた波乱万丈の生涯が数々の史料とともに紹介されている。

ふたたび幹線に出て西に歩いた。端から端まで見通せそうな町並みは、町と言うより小さな集落といって良さそうだ。中心とおぼしきあたりにバス停がある。頑丈そうなブロック造りのバス停は、この地の風雨の激しさを裏付けているように見受けられる。
麗しき退屈 U
バスが来た。岬を東に回る便のようだったので、のってみた。小さなバスには、老婆とその孫らしき幼児が乗っているだけで、他に乗客はいない。岬の広場の前で時間調整をした後、バスは道いっぱいになって木々のトンネルを押し分けるようにゆっくりと走った。

あても無ければ終点までいく気もなく、適当な所で降りようと思っていたが、道がうねうねと続く途中に、思い出したようにポツリとバス停だけが、一里塚さながらに佇むばかりで、寂しいことといったらない。あわてて停車ボタンを押すと、バスは左に大きく曲がる地点で停まった。

カーブの先にしずしずと消えていくバスを見送って、改めてここはどこかとバス停を見ると、「大カーブ」と記されている。なんと人を食った名前だろう。その上、戻りのバスの時間を見て、やはり歩いて帰ったほうが早いということにも気付かされる。
麗しき退屈 V
まだ、十時を過ぎたばかり。天気がいいのも幸いだ。と思ってゆっくり歩いていたら、早春だと言うのに、徐々に気温が上がってきた。日差しの強さだけは南国特有だ。百メートルもいかないうちに上着を脱ぎ、肩に担いだ。

歩いてみると、道端の林や茂みの切れ切れに、バスでは気付かなかった海の景色が見える。狭く切り取られた海面は、水平線までもが陽光を受け、フェリーらしき船の影をはるか遠くに浮かべて照り輝いていた。足をとめ、その風景に見とれていると、涼やかな海風が足下から吹き上がり、すぐに止んだ。

呼び止める声がするので後ろを振り向いた。大きなリュックを背負った大学生くらいの青年で、同行二人と書かれた菅笠を被っている所を見ると、どうやら歩き遍路の旅をしているらしい。岬までの距離を聞いてきたので、これまでのいきさつを話すと、じゃあ一緒に行きましょうと笑って言う。
麗しき退屈 W
ふたりで色々と話をしながら歩いた。大学生に見えるが、実はそうではなく、半年毎に臨時工をしながら、その稼ぎであと半年こうして歩く旅をしていること、実家は北陸にあり、比較的裕福な家庭らしいことなどが判った。うらやましいね、と言うと、彼はにんまりと笑うだけだった。

やがて、見覚えのある木のトンネルに差し掛かった。ひんやりとした空気の中で、鳥たちの声が一段とたかくなった。青年が、ちょっと寄り道しませんか、と言うので、道路脇の細い遊歩道をついていくと、突然視界が開け、天狗の鼻と呼ばれる小さな岬の先端に出た。

指呼の間に、岬の展望台と、その向こうの灯台が一望できる。絶景と呼んでいい展望だ。空はうららに晴れ渡っているのに、磯場は激しい波に洗われ、白く泡立っている。垂直に立ち上がった断崖は、何者をも寄せ付けない、強い意志を表明しているかのようだ。
麗しき退屈 X
ここは恋人岬とも呼ばれるそうですね、と青年が言ったので、君には彼女はいないのか、と問うてみると、彼はまた笑いながら、もしそんなものがいたら、こんな贅沢な旅はなかなかできませんよ、と答えた。椿の花が濃い紅に染まっていた。

そこからは遊歩道を通って、展望台の上り口を通過し、ジョン万次郎の銅像の下で、金剛福寺に参拝するという青年と別れた。おそらく再び会うこともないだろうとは思ったが、それ以上に知り合うことを、お互いに避けたところもあったような気がする。

足摺亜熱帯自然植物園という所に入ってみた。ビロウやアコウ、オオタニワタリといった、ここを北限とする植物群が、山の斜面一帯の自生の高木の下に植栽されている。観光客のご婦人達が、樹上に付いた珍種のシダを教えてくれたが、難解なその名は、申し訳ないけれども覚えられなかった。
麗しき退屈 Y
宿に戻りついたのが、十二時過ぎ。宿の主人とばったり会ったので、この間のいきさつをかいつまんで話すと、多少の距離でしたら、お電話下されば車でお迎えに行きましたのに、という。しかし、例のバス停近辺には公衆電話は見当たらなかったし、携帯電話など当然のように圏外だ。

だが、時間はまだまだある。主人に地図を見せてもらうと、西に向かえば松尾という漁港があり、その先にウスバエというなかなかの景勝地が控えているらしい。歩いてどれくらいかと聞くと、一時間半程でいけるだろうと言う。手頃な距離だ。

お送りしましょうかと言う申し出を断って、そのかわり迎えに来てくれと頼むと、主人は多少困惑した様子だったが、すぐに、ではお電話ください、と答えた。都合よく電話できるかどうかはあえて質さず、昼食の摂れる店を教えてもらい、宿を出た。
麗しき退屈 Z
相変わらず人通りの少ない道のずっと先に、大きなリュックが歩いているのが小さく見えた。追いかけてもっと話してみたいという衝動が湧く。しかし、それと同時に、なぜかそうする事がとても許されない事のようにも思えて踏みとどまった。

のろのろと走る錆だらけの軽トラック。若者の運転する乗用車が、やはり我慢強く後続していく。
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