四国八十八ヶ所の中でも、修行の地と呼ばれる土佐の国。分けてもその南端、足摺岬にたつ金剛福寺は、格式におけるよりもその立地において、一連の行程の最大のピークと呼ぶに相応しい位置にあるように見受けられる。なんといっても、遠い。

八十八ヶ所を歩いて巡る体験は、昔は今よりもさらに過酷なものであったに違いない。もともと遠流の土地とされていた場所。四国と言えば、世界の辺境と呼ぶのと同様の響きがあったはずだ。あるいは、だからこそ過酷な修験の空間と位置付けられたのかも知れない。

しかし、実際のお遍路さんの動機や目的は各人各様。純粋な信仰もあれば、ほとんどレクレーションという場合もある。これは古くからそうだったらしく、例えて言えば「お伊勢参り」や「金毘羅参り」なども、庶民の息抜きとして行われていた面があったという。

もとより、仏教の教えは方便の塊。真言の教えの真髄は即身成仏だ、などと言われても、われわれ凡夫がそうやすやすと真理を悟り得べくもなく、ただぐるぐるとそれらしき物の回りを巡回することで心の平安が得られるのであれば、まずもって僥倖と受け止めるべきなのかもしれない。


     
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